蕎麦にまつわる常識の再考

蕎麦は昔から人々の生活とともにありました。そのため、蕎麦にまつわる迷信じみた常識もたくさんあります。中には真実とかけ離れたものもあります。にのまえではそのような常識に疑問を投げかけてみたいと思います。

1. ソバという植物についての常識

1-1.ソバは肥料がいらない

1-2.ソバは痩せた土地を好む

1-3.ソバは米が穫れない地方で作られる

2.そば打ちについての常識

2-1.そばは石臼挽き

2-2.新蕎麦

3.そばの食べ方についての常識

3-1. 音を立てて食べるのが日本の文化

3-2. 薬味は直接そばにつける

3-3. そば湯は注ぐ前によく混ぜる

3-4. そばは噛まない

1.ソバという植物についての常識

1-1.ソバは肥料がいらない

 世の中に、肥料なしで育ち、実をつける作物などあるのでしょうか。

古くから茨城県県北地区では、恩賜のたばこに使われたことでも名高い「水府たばこ」の裏作として蕎麦が植えられました。たばこは高い値段で取引されましたので、品質をあげるために質の良い肥料が惜しげもなく与えられました。そのためたばこを収穫した後の畑はよく肥えていて、そこに蒔かれた蕎麦は、すくすくと育つことができました。

このように輪作が行われ、土地が肥えていた時代は、特別な肥料を入れなくても高品質の蕎麦を収穫できたのですが、現在では蕎麦は単作で作られることが多く、一年に数か月しか使わない畑は土が痩せてしまっています。ソバは実に栄養分が沢山ありますので、瘦せた土地でも元気に芽は出しますが、豊かに実をつけることはありません。収穫するためにはやはり、バランスの取れた肥料を施す必要があります。

1-2.ソバは痩せた土地を好む

 一般的に日本では、肥えた土地というと黒くほくほくした畑が連想されるます。そのような畑は北海道、関東の広い畑によく見られます。しかし、このような土地で様々な作物が収穫されるようになったのは、化学肥料が発明されてからです。黒土は、火山灰由来なのですが、時と共に、肥料分を保つために必要な細かい粘土分が黒土の層の下に沈んでしまったので、比較的荒い土粒だけの組成になってしまい、植物の成長に必要なミネラル等を保持する力が弱く、常に肥料分を入れ続けないと作物が育ちません。それに対して、山間部の土地は、土は細かい粘土質で肥料の持ちが良く、堆肥や生活のサイクルで生み出される肥料で十分に質の高い作物を生産できたのです。本当は、黒土の畑はすぐに痩せてしまう、本来は耕作に不向きな土地なのに、いつの間にか私たちの間では、肥えた土地と痩せた土地のイメージが逆転してしまったのです。

ですから、本当は常に肥えている山間の畑を「痩せている」と思い込み、そこで盛んに栽培された蕎麦を「痩せた土地を好む」と勘違いしてしまったのではないでしょうか。

現代人が持つ肥えた土に対するイメージと事実の間には大きな隔たりがあります。

1-3.ソバは米が穫れない地方で作られる

 ひとは昔から、水のある場所に住み着き、集落を作ってきました。そして、米を作りました。平地では一枚が広い田んぼが作れましたが、山間では棚田になりました。

 村ができればどこでもお米は作られていたのであって、蕎麦の産地である場所でも盛んに稲作は行われていました。もちろん、田所と呼ばれる田んぼの多い平地の方が米の収穫量は多かったのですが、米は古くは年貢として、明治に入ってからは軍の食糧として田んぼの広さに応じて収穫したものを相当量納めなくてはいけなかったので、農家さんは毎日の食事に満足に米を食べることはできませんでした。それは日本全国共通した農家の悩みでした。

2. そば打ちについての常識

2-1. そばは石臼挽き

 石臼挽きを看板に掲げるこだわりのそば屋さんは意外と多いですし、そば打ちを趣味とする達人の間でも石臼挽きの蕎麦は人気です。石臼挽きの粉の良さとして言われている主な事柄は、

a.石臼は粉を挽くときに熱が出ない

b.しっとりとした粉が挽ける

このふたつですが、これらが大切とすれば、それはミル式の鉄臼挽きがより優れていると言えるのではないでしょうか。ちなみに、ミル式の鉄臼とはコーヒー挽きの大きなものと思っていただいて差し支えありません。

a.について言えば、鉄は石よりもずっと熱伝導率が高く、熱を逃がす効果も高いので、むしろ鉄臼の方が有利でしょう。もし、瞬間的にでも高い温度になれば、粉はアルファ化(糊化)してしまい、臼はあっという間に詰まってしまいます。石臼に比べ、鉄臼は歯が立っているので、蕎麦の実を切るように粉にするので、石臼の重みで蕎麦の実を粉砕する方法よりはるかに実にストレスをかけないと考えられます。

b.しっとりとしているという事は、粉を手で握った時に、粉が固まる感覚だと理解します。一般的に、挽くときに熱が出ると水分が蒸発してしまうからサラサラになってしまうとのことですが、果たしてそうでしょうか。

前述しましたように、石臼はその重さで蕎麦の実を粉砕し、こねるように細かくしていきますので、一般に比較的細かい粉が多く混ざる、粒度分布幅の大きい粉ができます。細かい粉というのは、単位重量当たりの表面積が大きいので、摩擦力によって固まるります。

しかし、最近はロール式製粉機の性能も上がり、市販の粉もずいぶん細かくなりました。これらの粉も、手で握るとしっとりとしています。

ただ、細かい粉というのは、打ちやすいのですが、その表面積が広いので香りが抜けやすく、酸化しやすいとも言えます。

そのため、しっとりとした粉はが優れているという考えは、そばを打つ人にとってであり、食べる人にとってはそれほどありがたいことではないように思えます。

2-2. 新蕎麦

 玄蕎麦の品質は温度にとても敏感です。常温で保存していると、春を過ぎたころから主に甘皮の部分が酸化し、埃っぽいようなにおいを発するようになり、色も黒っぽくなります。こんな蕎麦を挽いた粉でそばを打ってももちろん美味しくはありません。昔は、夏を超えた蕎麦など「犬も食わない」などとひどい言われ方をしたものです。このように気温とともに劣化する蕎麦を食べざるを得なかった保冷庫が一般的ではなかった時代には緑がかって清々しい香りのする瑞々しい新蕎麦が人々に大歓迎されたことは想像に難くありません。

 しかし、現代では玄蕎麦は収穫後保冷庫の中で低温保存されます。そのため、玄蕎麦は劣化することなく、熟成が進みます。時間とともに蕎麦は香ばしく、味が深くなっていきます。収穫後一年経った蕎麦の深い旨味と香りの素晴らしさは体験してみる価値があります。

 その熟成した蕎麦と新蕎麦ではどちらが美味しいのか、という質問に対して、私は自信をもって「熟成した蕎麦」とこたえられます。これに比べてしまうと、新蕎麦の清々しくて瑞々しいは、青臭くて水っぽいと感じてしまいます。

3. そばの食べ方についての常識

3-1.音を立てて食べるのが日本の文化

 にのまえにいらっしゃるお客様で、音を立ててそばを食べる方は7割ぐらいでしょうか。音を立てないで食べる方は比較的若い方が多く、その割合も年々増してきています。

私が若いころは、音を出して飲食することに寛容で、お茶も多くの方が音を立てて飲んでいましたが、今はめったに「ずずっ」という音を聞かなくなりました。昔の小説で「お客さんがご飯をぴちゃぴちゃと美味しそうに食べた」という一節を読んだこともありますが、今はほとんどの方が口を結んで咀嚼します。

時代とともに日本人も飲食時に音を立てなくなってきています。もしかしたら、後20年も経てば音を立ててそばをすするのは落語の世界だけになってしまうのかもしれません。それが寂しいと思う方もいらっしゃるでしょうが、文化とは良い習慣だけを指すわけではありません。飲食の音がまわりの方を不快にする過去の習慣であると認識される世の中になるのであれば音を立てずにそばを食べる方法を取り入れてもいいのではないでしょうか。

そばは、音を立ててすすらないと味や香りが分からない、とおっしゃる方もおいででしょうが、そばだけが特殊な食べ物ではありません。音を立てても立てなくても味は変わらないはずです。

3-2.薬味は直接そばにつける

 魚介類を食べるとき、薬味は欠かせません。薬味は魚の生臭さを押さえ、味を引き立てます。

 その昔、そばは大根おろしのつゆ等をだしとして食べられていたと言われていますが、時代が下り、つゆに鰹節が使われ始めたころは冷蔵庫など無く、つゆは冬以外はぬるく生臭かったと想像されます。しかし、魚をよく食べ、魚に合う薬味に詳しい日本人は難なくその問題を解決していたことでしょう。

冷蔵庫が普及した現在、大量に鰹節が使われたつゆでもきりりとよく冷え、生臭いことはありません。そうすると薬味の存在意義が薄くなるのは道理ですが、誰が始めたのか、そばに直接ワサビを載せる方が増えてきました。

醤油にワサビを溶かず、刺身に直接乗せる食べ方には一理あるのでしょうが、デリケートな香りが身上のそばに直接香りの強いワサビを載せてしまうのはいかがなものでしょうか。その食べ方はテレビの影響もあるのかすごく流行っているようですが、理にかなっているとは思えません。

お客様の食べ方に注文を付けるのは出過ぎた真似ですが、ワサビを直接そばにつける食べ方を見るたび「うちのそばは生臭いですか」と聞きたくなる気持ちを禁じえません。

 そばの香りを堪能していただきたいと考えておりますにのまえでは、現在もりそばに薬味はお付けしていません。すけもりにお付けする少量の大根おろしは、だしの一部として、つゆにお入れくださることをお勧めいたします。

3-3.そば湯は注ぐ前によく混ぜて

 昔はそば湯だけでなく、醬油やお酒も湯桶(ゆとう)を使って注いだようです。それは、湯桶の注ぎ口が高い位置についていて、澱のある液体の上澄みだけを取り出すのに都合がいい作りだからでしょう。ただ、現在は醤油も酒も澄んでいるのが普通なので、湯桶を使う必要がなくなりました。

そば湯は蕎麦をゆでた時のお湯なので、打ち粉が大量に混ざっています。これは味がしませんし、口の中でざらつくので、できれば蕎麦猪口にいれないほうがそば湯で割ったつゆを美味しく召し上がっていただけると思います。蕎麦をゆでた時に出る、香りの良いそばの表面のたんぱく質や澱粉は、そば湯に溶けています。

昔からの知恵が生きている湯桶に入れられたそば湯です。できればそっと上澄みだけを蕎麦猪口に注ぎたいものです。

3-4.そばは噛まない

 そばを食べるときは噛まない、ってよく耳にしませんか。特にコシのあるそばは噛まないで飲み込んだらのどに詰まって窒息しそうですがなぜでしょう。

 ある女性が「うちのダンナは食事の時全然噛まない」と言うのを耳にしました。その時、「そばは噛まない」の謎が解けました。嚙まない、というのはよく噛まない、の事なんですね。まさかその女性のお連れ合いがご飯やお菜を丸呑みしているとは思えませんので。

ただ、にのまえのそばは、とても貴重な風味豊かな材料で打っていまので、できればゆっくりと噛みしめて、味わっていただきたいとも思っております。

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